親のことでどこに相談すればいい?相談窓口から次に動く場所が見えてきた日

親の老いと終活

この話は、両親の病気や老いについて書いている「親の老いと終活」シリーズの続きです。

→ シリーズ最初の記事「親の病気と老いから始まった、暮らしの整理」を読む
→ 前の記事「活力のなさを相談するまでの記録」を読む

介護保険の手続きと心療内科の予約を進めた記録

前の記事で書いた、春の母とのランチ。

母の治療が思っていた以上に厳しいところまで来ていること。

「もうお母さん、だめかもしれない」

という言葉。

そして、父のことを、

「もう、どうしたらいいかわからないんよ」

と話した母。

その場では泣けなかったのに、家に帰って一人になると、母から聞いたことが一気に現実のものになって、苦しいくらい泣きました。

母のことも心配でした。

父のことも、このままではいけない。

でも、私はどうしたらいいのかわかりませんでした。

病院なのか。
介護なのか。
お酒のことをどこかに相談するのか。

そもそも、何を調べればいいのかさえわかりませんでした。

そんな中で母から渡されたのが、市の広報でした。

そこに載っていた相談窓口へ、私はその日のうちに電話をかけました。

本当に、縋るような気持ちだったと思います。

今振り返ると、この一本の電話から、私たちは少しずつ地域の支援につながっていくことになります。

相談窓口で教えてもらった先へ、ひとつずつ電話した

最初に電話した市の相談窓口では、父と母の状況を、わかる範囲で話しました。

父がお酒を飲むこと。
何度か倒れ、救急車で運ばれたこと。
以前より活力がなく、車の運転など心配なことも増えていること。

そして母自身も、がんの治療中であること。

私は同じ市内の近くに住んでいますが、仕事や子育てもあり、毎日実家へ行って支えることはできません。

何より、

「こういう時は、どこに相談したらいいんですか」

という状態でした。

電話口の方は、とても親身に話を聞いてくれました。

「それは本当に大変な渦中ですね」

と言ってもらえたことを覚えています。

何かをすぐに解決してほしくて電話したというより、

誰かに、この状況を聞いてほしい。 そして、次にどこへ行けばいいのか教えてほしい。

そんな気持ちだったと思います。

そこで初めて、いくつかの相談先を教えてもらいました。

その中の一つが、

地域包括支援センター

でした。

そして父の活力のなさやお酒のことについて、一度診てもらうため、心療内科も2か所教えてもらいました。

何をすればいいのかわからなかったところから、

包括センターに相談する。 心療内科にも相談してみる。

ようやく、次にすることが見えました。

「地域包括支援センター?」というところから始まった

私はそれまで、地域包括支援センターというものをまったく知りませんでした。

もちろん、日本には高齢者のための介護や福祉の制度があることくらいは知っていました。

でも、

地域包括支援センターという場所があること。

高齢になった親の暮らしや介護について相談できる場所であること。

そういうことは、本当に知りませんでした。

教えてもらった時も、

「地域包括支援センター?」

という感じでした。

それまで私の生活は、介護や地域福祉とはかなり距離のあるところにありました。

親も自分たちで暮らしている。

私も自分の家庭がある。

必要になるまでは、調べることすらありませんでした。

でも、いざ親のことで困った時には、こういう場所が地域にちゃんとある。

そのことを、この時初めて知りました。

数日後、父と母の前で次の相談先に電話した

市の相談窓口に電話した数日後、私は実家へ行きました。

紹介してもらった先に連絡するなら、父と母が目の前にいる時の方が話が早いと思ったからです。

わからないことがあれば、その場で二人に確認できます。

その日は、地域包括支援センターと心療内科へ電話をするつもりで実家へ行きました。

まず、地域包括支援センターへ電話しました。

「今から行ってもいいですか」

と聞くと、快く受け入れてもらえました。

介護保険関係の証書を持ってきてくださいと言われた記憶があります。

母のものはすぐに見つかりましたが、父のものが見つかりませんでした。

少し探しましたが見つからず、そのことを伝えると、

「大丈夫ですよ。再発行できますので」

と言ってもらえました。

なくても手続きを止めなくていい。

それがわかって、少しほっとしました。

こんなに近くに、相談できる場所があった

地域包括支援センターは、実家からそれほど遠くない場所にありました。

「こんなに近くにあったんだ」

と思いました。

電話をしてから行ったので、こちらのこともある程度わかっていて、待っていてくださったような感じで迎えてもらった記憶があります。

そこで父のことを最初から長く説明するというより、電話で伝えていた内容を確認しながら、

「これからは、こういう流れになりますよ」

と説明してもらいました。

介護認定を受けるにはどうするのか。

家に来てもらって、本人の状態を確認すること。

その後、認定の手続きが進んでいくこと。

パンフレットなどを見ながら、順番に説明してもらいました。

それまでの私は、介護保険という言葉は知っていても、

実際にどうやったら支援につながれるのか

は知りませんでした。

でも、包括センターへ行けば、

「まずこれをします」

「その次はこうです」

と教えてもらえる。

全部を自分で調べて、理解してから行かなくてもよかったんです。

言われた通りに一つずつ進めていけばいい。

それだけでも、かなり気持ちが楽になりました。

「介護」という言葉を、父に当てはめる不思議さ

手続きを進めながら、少し不思議な感じもありました。

私の中の父は、少し前までスポーツセンターへ行き、習い事にも通い、料理教室にも行っていた人です。

まだ元気でいてほしい。

まだいろんなことができると思いたい。

そんな父と、

介護

という言葉が、最初はうまく結びつきませんでした。

でも、この時の生活の中で困っていることがあるなら、相談していい。

母も、自分の治療をしながら一人で父を支え続ける必要はない。

この頃になって、ようやく私はそういう考え方を少しずつ知っていきました。

心療内科は、2か所を調べてから決めた

市の相談窓口から、心療内科は2か所教えてもらいました。

一つは、実際に父が受診することになる、実家から比較的近い病院。

もう一つは、地元では精神科の病院としてとてもよく知られているところでした。

私は、実家へ行くまでの数日間に、両方の病院をインターネットで調べました。

場所はどこなのか。

通いやすいのか。

どんな病院なのか。

評判はどうなのか。

紹介してもらったのは2か所だけだったので、選択肢が多いわけではありませんでした。

その中で調べてみて、

まずは実家から近い方に行ってみよう。

と決めました。

ここなら父も母も通いやすい。

もし今後何度か通うことになっても、近い方が負担が少ない。

そう考えました。

父にどの病院が本当に合っているのかまで、私に判断できる知識はありませんでした。

紹介してもらった中から、自分なりに調べて、まず行きやすい方を選んだ。

そんな感じでした。

父と母の前で、心療内科に電話した

病院にも、父と母が目の前にいる時に電話をしました。

予約について聞くと、受診できるのは3週間ほど先でした。

その日で予約を取りました。

その間、父と母がどんな話をしていたのか、私は詳しくはわかりません。

母は、

「お父さんも、なんとかしないといけないと思っとるみたいじゃけぇ、気持ちが変わらんうちに行こう」

というようなことを言っていました。

それが父自身のはっきりした言葉だったのか、母が父の様子を見てそう感じていたのか、今となってはそこまではわかりません。

でも、父が病院へ行くことを強く嫌がっていないことに、私は少しほっとしていました。

父は昔から、意外と頑固なところがありました。

習い事で体調が悪かった時も、

「自分で帰るからええよ」

と言いました。

お墓参りの時も、自分で運転すると言い張りました。

こちらがいろいろ考えても、

「ええよ」
「面倒くさい」

と断られることもある人でした。

だから今回も、

病院なんて行かん。
面倒くさい。

そう言われるかもしれない。

私はどこかで、そんなふうに思っていました。

それなのに、紹介された病院へ行く話が、そのまま進んでいる。

私は素直に、

ああ、よかった。

と思いました。

予約の日、父はすんなり支度をしていた

予約の日、私は父と母を迎えに行きました。

父はもう準備をしていました。

「はい、行こう」

そんな感じでした。

行きたくないと揉めることもなく、そのまま父と母を乗せて病院へ向かいました。

私は、

本当に行くんだ。 よかった。

と思っていました。

父が自分から積極的に治療を望んでいたのか、そこまではわかりません。

でも、少なくとも今回は拒まなかった。

それだけで、何か少し前に進めたような気がしました。

これで、何かが少し変わるかもしれない。

そんな期待が、私の中にあったと思います。

小さく、軽くなっていた父

病院では、まずいくつかの検査を受けました。

身長と体重を測り、血液検査も受けました。

その時、数字になった父の身長と体重を見て、少し驚きました。

父はもともと170センチちょっとあり、父の年代では少し背が高い方だったと思います。

学生時代には柔道をしていて、体つきもしっかりした人でした。

私の中にある父は、

大きい人

でした。

でも、その時の父は、以前よりずいぶん小さく、軽くなっていました。

普段なんとなく見ているだけでは気づかなかった変化が、数字になると急にわかりました。

あぁ、父も本当に年を取ったんだ。

思っていた以上に弱っているのかもしれない。

少しショックでした。

その気持ちは、誰にも言いませんでした。

ただ、自分の中に静かに残りました。

一本の電話から、地域の支援につながった

この頃の私は、介護保険の仕組みも、地域包括支援センターの役割も知りませんでした。

心療内科についても、どこへ相談すればいいのかわかりませんでした。

でも、私の場合は、

市の相談窓口に電話する → 地域包括支援センターを教えてもらう → 介護や支援の手続きを教えてもらう → 心療内科を2か所紹介してもらう → 自分で調べて病院を決める → 予約を取る

という流れで、少しずつ次に進むことができました。

最初から、

「地域包括支援センターに相談しよう」

と思っていたわけではありません。

そんな場所があることさえ、私は知りませんでした。

必要にならなければ、調べることもなかったと思います。

でも、いざ親のことで困った時には、

悩みを全部整理してからでなくても、相談できる場所がある。

それを知っているだけでも、支援につながるまでの時間は変わるのではないかと思います。

親の様子がおかしい。

でも、病院なのか、介護なのかもわからない。

何を検索したらいいのかさえわからない。

そんな時には、まず住んでいる市区町村のホームページなどで、

「高齢者 相談」 「介護 相談」 「地域包括支援センター」

と調べてみる。

それだけでも、最初の相談先が見つかるかもしれません。

今は必要のない人でも、

困った時には、地域に相談できる場所がある。

それだけでも、どこか頭の片隅に残っていたらいいなと思います。

私の場合は、市の広報に載っていた相談窓口への一本の電話が始まりでした。

その一本の電話から、包括センターにつながり、病院につながりました。

何かが一気に解決したわけではありません。

でも、

次にどこへ行けばいいのか。

それがわかったことで、ようやく前に進むことができました。

そして次に向かった心療内科で、私たちは初めて、父のお酒の問題について、思ってもいなかった言葉を聞くことになります。

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