父が亡くなった朝、悲しむ前に動いたこと

親の老いと終活

病院・葬儀屋・警察へと動いた日の記録

※この記事には、家族の死、自死に関する内容が含まれます。

前の記事では、専門病院への通院や訪問看護が続く中で、父の体や心が少しずつ弱っているように感じていた頃のことを書きました。

それでも私は、年が明けたらまたいつもの生活が続くと思っていました。

そして12月24日の早朝、母から電話がかかってきました。

5時52分、母からの電話

最初の着信は5時51分でした。

その1分後。

5時52分に、もう一度母から電話がありました。

その電話を見た瞬間、

嫌な予感しかしませんでした。

こんな朝早くに母から電話がある。

父に何かあった。

そう思いました。

早く出ないといけない。

そうわかっているのに、ほんの数秒だけ、電話に出るのをためらいました。

電話の向こうから救急車の音が聞こえた

電話に出ると、救急車の音が聞こえました。

電話の向こうは慌ただしく、母も焦っていました。

「お父さんの心臓が止まってね。今、病院に行きよるんよ」

大変なことが起きた。

私は、

「分かった。すぐ行く」

と言って電話を切りました。

ついにこの日が来たのかもしれない。

でも、病院に行ってみないとわからない。

怖い。

いろいろなことが一気に頭を巡りました。

夫に伝えて、一人で病院へ向かった

寝ていた夫に、

「父さんの心臓が止まったらしいけ、病院に行ってくる」

と伝えました。

夫は驚き、一緒に行こうかとも言ってくれました。

でも、子どもたちも家にいます。

家のことをお願いして、私は一人で病院へ向かうことにしました。

6時6分に、また母から電話がありました。

夜間だったので、どの入口から入るのか、警備員さんに名前を伝えること、どこへ行けばいいのかを教えてくれました。

この時、母は父の状態について、それ以上詳しいことは言いませんでした。

後から聞くと、母はあえて言わなかったそうです。

私が車で病院へ来ることがわかっていたので、

焦って事故でも起こしたらいけない。

そう心配してのことでした。

「嫌だな」と思いながら病院の奥へ歩いた

夜間窓口で名前を伝えると、話は通っていました。

名前を書き、警備員さんに教えてもらった通りに病院の奥へ進みました。

嫌だな。
嫌だな。

そう思いながら歩いたことを覚えています。

急いで行かないといけない。

でも、そこで何を聞くことになるのかが怖い。

奥にいた看護師さんに、

「娘です」

と伝えると、

「お父さんのこと、聞いてる?」

と聞かれました。

私は、

「はい。心臓が止まってって」

と答えました。

その時の看護師さんの表情を見て、

なになに?
何かまだ聞いてないことがあるの?

と思いました。

そして、小さな病室へ案内されました。

「ああ、今日だったんだ」

部屋には、横になっている父と、そのそばにいる母がいました。

母は泣いていました。

「病院に行って治療してもらったら、目が覚めると思ったんだけど、覚めんかったんよ」

と言いました。

父が亡くなった。

ああ、こういう結果だったんだ。
今だったんだ。

という感覚でした。

前の記事でも書いたように、この頃の私は父を見ながら、命の灯火が少しずつ小さくなっているように感じていました。

近い将来、こういう日が来ることもあるのかもしれない。

そんなことを、頭の片隅に置きながら過ごしていました。

そして説明を受け、父が自ら命を絶ったことを知りました。

そのことを聞いた瞬間、

ヒュッと喉が詰まるような感じがしました。

でも、頭の片隅では、

そういうことがあっても、おかしくない。

と思っていた自分もいました。

ああ、父はそういう決断をしたんだ。

そう受け止めました。

そして何より、

そんなに辛かったんだ。

と思いました。

まだ楽しめることもあったと思う。

もう少し違う見方ができたら、楽しく過ごせる時間もあったんじゃないか。

そんな勿体なさのような気持ちもありました。

母は「ああ、大変なことになった」と繰り返していた

その後、確認や処置のため、母と私は外で待つことになりました。

母は何度も、

「ああ、大変なことになった」

と言っていました。

私は、

「でも、やるべきことは全部やってきたよ」

と言いました。

母も、

「そうだよね。やることはやったよね」

と言いました。

それでも、しばらくするとまた、

「ああ、大変なことになった」

と繰り返していました。

私も、

しょうがない。
しょうがない。

と思いながら、次にやらなければならないことを考えていました。

その場で葬儀場を探すことになった

そこで看護師さんから、

「こんな時に申し訳ないんだけど」

と声をかけられました。

病院では父を長く預かることができないので、このあと父をどこへ移すのか決めなければならないとのことでした。

決まった葬儀場があるか聞かれ、

「決まってません」

と答えると、地域ごとの葬儀場と連絡先が載った1枚の資料を渡してくれました。

利用できそうな葬儀場が4件ほどありました。

母は、
「全然わからんね」
と。
なので私は、その4件を一つずつ検索しました。

場所はどこか。
実家から近いか。
どんな葬儀場なのか。
費用はどのくらいなのか。

その中から、実家から比較的近い、費用も手頃と謳っている葬儀場にめぼしをつけました。

看護師さんには、
「葬儀場の方は慣れているから、わからないことは何でも聞ちゃったらいいですよ」
と教えてもらいました。

葬儀場へ連絡してから、警察の確認へ向かった

父の亡くなった状況から、警察による亡くなった自宅の確認が必要でした。

葬儀場へ電話し、

これから警察の確認があること。
1時間か2時間くらいかかるかもしれないこと。
それくらいの時間になっても病院へ迎えに来てもらえるのか。

そういったことを確認しました。

大丈夫とのことだったので、父をお願いする葬儀場を決めました。

葬儀場への連絡ができたところで、母と一緒に警察の確認のため実家へ戻りました。

母がその朝経験したことを知った

実家へ戻り、母がその朝どんな状況だったのかを詳しく聞くことになりました。

父の部屋は1階の書斎で、普段からそこで過ごしていました。

母は、父の動向がわかるように、書斎の入口が見えるリビングにいることが多くなっていたそうです。

寝室は2階でしたが、その夜はどうしても眠くなり、リビングで寝てしまいました。

早朝になって、

「やっぱり2階で寝よう」

と階段へ向かった時、父を見つけました。

母はすぐに助けようとしました。

一人では支えきれない中で、なんとか父を助けようとしながら、救急へ連絡したそうです。

病院へ行けば助かる。
処置をしてもらえば目を覚ます。

母はそう思っていました。

病院で、

「治療してもらったら目が覚めると思った」

と言っていた意味が、ここでわかりました。

4人の警察官が来て、確認が始まった

実家には、警察官の方が4人ほど来られていました。

父の持ち物や薬、病気、最近の様子、その朝の状況などを一つずつ確認していきました。

室内の写真を撮ったり、状況を確認したり、警察本部へ連絡を取ったり。

思っていた以上に念入りな確認でした。

母が答えることもあれば、私が答えることもありました。

私は、

今年から病院へ通っていたこと。
アルコール依存症と診断されたこと。
父の体や心の状態。
退職後の生活。
最近の様子。

聞かれたことに、そのまま答えました。

確認には、1時間くらいかかったと思います。

一通り終わったあと、警察の方から、状況から自死とみてよいだろうという説明を受けました。

良かれと思っていたことまで、考えるようになった

警察の確認の中では、父が飲んでいた薬についての話も出ました。

その時のやりとりが、後になって心に残りました。

病院につないだこと。
薬を飲むように勧めていたこと。
少しでも楽になればと思って進めていた治療。

本当にこれでよかったのかな。

後になって、そう考えることがありました。

ただ、薬や治療と父の死との関係について、私に判断できることはありません。

病院へ行ったことも、薬を勧めたことも、その時は父に少しでも楽になってほしくてしていたことでした。

このことについては、今も答えは出ていません。

「苦しくはなかったんじゃないかな」

病院でも警察でも、父の最後の状況について説明を受けました。

薬も飲んでいたことや、表情も比較的穏やかだったことから、

「苦しくはなかったんじゃないかな」

というような話でした。

それを聞いて、

せめて最後は、苦しい思いをしていなかったのなら。

それならよかった、と思いました。

父はそれまで、お酒や体の不調、気持ちの落ち込みに苦しんできました。

だからこそ、最後についてそう聞けたことは、私の中に残りました。

「しょうがない」と思いながら動いた朝

その朝は、父が亡くなったことを知ってから、次々にすることがありました。

病院で父に会う。
母と葬儀場を探す。
葬儀場へ連絡する。
警察と一緒に実家へ戻る。
父の病気や最近の状況について説明する。

もちろん、父が亡くなったことは悲しかったです。

でも私は、起きたことを比較的早く受け止めていました。

長い間、

いつかこういう日が来るのかもしれない。

と、どこかで考えながら過ごしていたからかもしれません。

しょうがない。
しょうがない。
今、やることをやろう。

そんな気持ちで動いていました。

父をどう支えるかを考えていた時間は、この日で終わりました。

ここからは、父をどう見送るのかを決めていくことになります。

このあと私たちは葬儀場へ向かい、父を見送るための具体的な話をしました。

次の記事からは、実際に葬儀を決めていった時のこと、葬儀にかかったお金、そしてその後の手続きや相続について残していきます。

コメント

タイトルとURLをコピーしました